2006年11月14日
僕が、ここにいる理由
僕が事務所を東京の西側から、ここCETエリアに移してから3年が経つ。ちょうど第一回目、CET2003(TDB-CE)のときに工事をしていて、そのプロセスを公開し、その工事現場でパーティーをやったのを今でもよく覚えている。そして未だ、その工事は進行中でたぶんずっと終わりはこないのだということに、最近気が付いた。僕の事務所、「UT」はずっと工事中、ON PROCESSなのだ。
先月、隣の倉庫が空いたので、思わず借りてしまった。事務所面積がいきなり2倍。家賃が安いってすばらしい。4階建て(ただし、4階はプラスチックトタンのハリボテ)の、2-4階が事務所、1階はバーになっている。東京R不動産のミカヤマくんに「このビルの1階に、酒と食べ物がおいしくて、かわいい女の子がいるような店を探してきてくれ」と、適当なオーダーを出していたら、なぜかそれが100%実現してしまった。実際に1階にバー「bigote」がオープンしたときには、それがあまりにイメージ通りだったので本当に驚いた。薄手のローマピザと、店の奥から時々出てくるレアモノのワインがたまらない。
今、元の事務所ホワイトキューブの「UT」は、貸本屋兼ギャラリー、そしてOpen A(僕の設計事務所の名前です)のミーティングルームという、わけのわからない使われ方の場所に改装中(なんだか、いっつも工事してる)。CET2006のオープニングに合わせて準備中だ。
引っ越してきて以来、ここではいろいろなことがあった。
「東京R不動産」というウェブサイトが、このUTをきっかけにつくられ、たくさんの仲間が増えた。今では月間ページビュー300万、会員2万人。信じられない。おかしな物件を探し求めている人々が、こんなにいるのかと改めて驚かされる。
本職である設計事務所のOpen A はたくさんのリノベーションの仕事をした。小さな個人の部屋から、三井不動産のオフィスビル・コンバージョンまで。規模も種類もさまざまだった。そのおかげでOpen A のスタッフはずいぶんたくましくなり、あらゆる物件をなんとか再生するノウハウを身につけてしまった。
そして、僕は5年前に出て行かれた元の嫁と再婚し、ついでに二人目の子供ができた。再婚式(そんな式があるのかはあやしいけど)のとき、IDEEの黒崎さんが「馬場くんは老朽化したビルもたくさん再生したけど、老朽化した家族も再生した!」と、ありがたいのか悲しいのかわからないスピーチをしてくれて、複雑な思いの感動をしたのは、たぶん一生忘れないと思う。すごく感謝している。
いつのまにかに、CETエリアにはおかしなヤツらが集まっている。気が少し狂ったヤツらとも言い換えてもいい。うまくは言えないけれど、安穏とした空気を本能的に嫌うのだろう。だからわざわざ、東京の西ではなくて東にいる。
僕の記憶では、最初に引っ越してきたのが建築写真家の阿野太一。穏やかな物腰の裏に凶暴さを抱え込んだ写真家、という印象がある。小伝馬町のボロボロの倉庫を発見し、改装して住んでいる。ヴィトンやディオールのオフィシャルカメラマンであり、その写真は氷のように冷たい。時間さえも凍られるシャープさが特徴的な写真家。しかしなぜかここに住んでいて、ときに祭りで近所のオヤジと一緒になって御輿を担いでいる。そのアンバランスが怖い。
少しだけタイミングをずらし、新野圭ニ郎というアーティストが、そのすぐ近くにビルを借りた。CET2004では、ひきこもりの友人とその部屋をそのまま「アート作品」として展示して話題になった。生身の人間が、ひきこもりながら、そのまま展示されているのだ。僕はその風景をどう受け止めていいのかわからずに、しばらく立ちすくんでいたのを覚えている。ここ数年で、もっともインパクトのあるアート作品だった。その作家が大伝馬町にアトリエとギャラリーを構えている。
ここに住む表現者に共通しているのは、どこかしら、不思議な破綻の美学を持っていることだ。なぜかはまったくわからない。しかし、阿野くんの写真も、新野くんの作品も、冷たく都市を切り取る凶暴性を内包している。
そして、その感性が、東京の東を選ばせた理由なのではないか。
安穏とした表現なんか、飽き飽きだ。
そんな覚めた冷たい空気が、時折、スラッと流れているから、僕はここに事務所を構え、働いている。さめざめとした空気が好きなんだ。
決められたフォーマットの上なんかで踊るな。
新しい表現は、冷気のなかで淡々とつくられている。
投稿者 馬場正尊 : 2006年11月14日 02:30






