• 「混沌」

    東神田ビル

    日程:10月29日 〜 11月07日 時間:未定

    東京都千代田区東神田1-14-1
    5F:島本と田辺と佐藤 「人がいるということ」
    4F:馬場正尊+竹内昌義 “Minimum Renovation”
    3F:「1985~1992 津村耕佑 スケッチ」
    2F:gift_
    1F:ゆかい

    CETは混沌の申し子である。
    2002年、それは東京の「西」の混沌の中で命を宿し、
    2003年、東京の「東」の混沌の中で産み落とされた。
    2004年、形を為そうと試みるも混沌は加速し、
    2005年、混沌の容量はマキシマムに達した。
    2006年、自ら混沌の中に体制を崩し、
    2007年、夜の混沌に紛れようとした。
    2008年、混沌を組織しようとする力に反発し、
    2009年、混沌は自由な力を得た。
    そして2010年、混沌は混沌へと還りつく。

    混沌とは、すなわち可能性の別称と言えはしないか。混沌に生まれ、混沌に還る。それがこのイベントの宿命である。

    混沌フライヤーPDF


    5F:島本と田辺と佐藤「人がいるということ」
    会場は長らく空いたままとなっている5階建てのビルです。もちろんかつては人がいました。いや。いたと思います。今は今で人がいます。つまり自分たちのことですが。そして将来も人はいるのでしょう。でもたぶんそれは自分たちではないと思います。そのようなことを考えながら制作をしました。インスタレーションということになるんでしょうか。

    島本と田辺と佐藤
    島本幸作と田辺秀伸と佐藤直樹の3人組。

    島本幸作
    1979年生まれ。会社員。

    田辺秀伸
    1981年生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒業。2005年よりteevee graphicsに参加。アシスタントを経て2008年からディレクターとして活動。2010年独立し、現在フリーランスで活動中。ミュージックビデオ、TVCM、ブロードキャストデザインなどの企画、演出、モーショングラフィックス制作を手掛ける。

    佐藤直樹
    1961年生まれ。何でも歳のせいにする冴えない中年親父。アートディレクター。大学教員など。http://www.asyl.co.jp/

    4F:「1985-1992 津村耕佑 スケッチ」
    三宅デザイン事務所入社以降FINAL HOMEブランド立ち上げまでに蓄積された津村耕佑のあまりにも貴重なスケッチの数々。驚愕の突発的公開!

    津村耕佑
    ファッションデザイナー。究極の家は服であるという考えを具現化した都市型サバイバルウエアーFINAL HOMEを考案する。パリコレクション、ロンドンコレクション、東京コレクションなどのファッションシーンを通過しながら、気がつくとデザインやアート、建築の分野を越境し慌てて引き返す毎日。 http://www.finalhome.com/ http://www.phofa.net/blog/tsumura/

    3F:馬場正尊+竹内昌義“Minimum Renovation”
    今回、竹内+馬場で考えたのが、どんなオフィスでもこれさえあれば住まいに変えられるというMinimum Renovation。最低限の水廻りやベッドです。持ち運びはできるけど、貧乏くさくならないのがポイント。また、この展示に急遽、野老朝雄さんも参加してくれることになりました。

    馬場正尊
    1968年佐賀県生まれ。1994年早稲田大学大学院建築学科修了。博報堂、早稲田大学博士課程、雑誌『A』編集長を経て、2002年Open Aを設立し建築設計、都市計画、執筆などを行う。現在、東北芸術工科大学准教授。

    竹内昌義
    1962年神奈川県生まれ。1989年東京工業大学大学院修士課程修了。1991年ワークステーション一級建築士事務所入社。1998年〜2000年東海大学非常勤講師。東洋大学非常勤講師。1996年〜2000年日本大学非常勤講師。2001〜2008年東北芸術工科大学環境デザイン学科助教授。 現在、東北芸術工科大学環境デザイン学科教授。

    2F:gift_ ” forest_as like a deer seeking a fountain “
    ● Installation
    forest_as like a deer seeking a fountain
    “泉を求める鹿のごとく”

    日常音を再発見する装置=soud trip による壁の「穴」から沁み出す「水滴」の音、その水源となる泉、森をイメージした映像によるインスタレーション。同会場内に ‘fountain’ という小さな喫茶コーナーも併設しました。「混沌」ビル右手に1-2F専用入口があります。
    http://www.giftlab.jp/diary/2010/11/forestcet10.html

    ● Live
    Yukitomo Hamasaki+shotahirama+Go Koyashiki / mAtter
    November 6 Sat, 2010 start 18:00
    entrance charge ¥500

    最終日の前夜、会場内でライブイベントを行います。インスタレーションから受けた印象が音響に変換されるストイックかつ美しいステージになりそうです。
    http://www.giftlab.jp/diary/2010/11/11live_forest.html

    gift_
    空間と音のデザインを主な仕事とする後藤寿和とプランニングやキュレーションを主な仕事とする池田史子を中心とするクリエイティブユニット。Tokyo Designers Block、CET、DesignTide等の空間構成やコンテンツ企画に参画。http://www.giftlab.jp/

    1F:ゆかい“SPACE YUKAI”
    元ラーメン屋だったスペースを利用し、ゆかい・池田晶紀プロデュースによる宇宙食堂?を展開します。ゆかい所属作家の5名の写真作品とアーティスト池田光宏による映像作品、andawarholによる壁画ペインティングを展示。期間中、屋形船屋の息子である皆藤君による出張小料理屋さんも計画しています。詳しい日程は、CETのHPにて告知します。また、特典として宇宙服持参お客様は、もれなくゆかい特製メモパットをその場で差し上げます。それではみなさん。光の世界へ、いってらっしゃい!

    ゆかい
    2006年に設立された、写真家の池田晶紀が主宰する写真事務所です。雑誌・CD/DVDジャケット・広告・映像制作など、5名のスタッフと共に写真を軸とした “ものづくり” を展開しています。また展覧会やワークショップなどの企画運営やコミッションワークの活動も定期的に行っています。2010年6月、日本橋馬喰町へと事務所を移転し、同じビルの1Fにはデザイン事務所ASYLとの共同運営によるオルタナティブスペース「dragged out studio(ドラックアウトスタジオ)」をスタート。http://yukaistudio.com
     
     
    泥の中の花
    原田幸子

     それにしてもCETというイベントは、ほんとうに最初から最後まで泥縄だった。
     何かやろうと誰かが言い出して、その外堀を埋める動きがなんとなく始まって、テーマなり呼称がいつのまにか決まって、最後に中核となる企画が決まる。普通のイベント作りとはまったく逆の流れだ。権威とか縦割りとかを重んじる従来の美術館や公的イベントであれば、このような流れはまったく受け入れられなかっただろうし、関わる人々を憤慨させあきれさせて終わったに違いない。いつも突発的に始まり、お金も人手もなく、苦しんで作り上げ、いつのまにか終わっている。なんのためにやっているのか誰もよくわかっていないし、わかろうともしない。けれどやるとなったらとことんやってしまう。「なんでこんなことができるのだろう」と、当事者ながらいつも思っていた。そしていつも、このイベントに関わる人々を頼もしく、このイベントに関われることを誇りに思っていた。

     そもそもCETの成り立ちが奇妙だった。03年に青山周辺で開催された「東京デザイナーズブロック(TDB)」の東版をやってみよう、と最初に声を上げたのが佐藤直樹。彼はそのままCETのプロデューサーとなり、40代のほとんどをこのヘンテコなイベントに捧げることになってしまう。「言い出しっぺが責任を取る」という子供じみた、けれども明確なルールは、まさにこの瞬間に成立したと言える。とにかく、いわゆる「2003年問題」(西側にたくさんのオフィスコンプレックスができることによって東側のオフィスビルが空洞化する)も起こるだろうということもあり、だったら空きビルをジャックしてアートを詰めこんじゃえ、でもって地盤沈下している東側の地域を活性化したら? と何の気なしに始めたのがきっかけだった。この天邪鬼のごとき佐藤のもとに、いたずら心に溢れ才能に満ちたクリエイターたちが集結したのは驚くべきことだった。彼らは廃墟を見ては歓声を上げ、汚れ放題の空きビルを見ては雄叫びを上げて喜んだ。東京の東エリアには江戸時代からの伝統と文化がある。しかしこのエリアの住人たちにとって、このような「クリエイター」と称する世にも珍妙な人種との出会いは、まさしく葛飾北斎の登場以来の事件だったことだろう。のちにCET実行委員会の委員長となる鳥山和茂は、佐藤たちとの出会いを「まったく理解を超えていた」と回顧している。

     このように突発的に始まったCETは、その後、まったく誰も意図していなかったにも関わらず、「廃墟スクワット/都市リノベーション」型アートイベントの原型を為していくことになる。いまでは地域活性化を図るためにアートイベントやクリエイターが関わることはごく普通のこととなったし、廃墟と化した家やビルの跡地、廃校となった学校を利用してのアートの展示はさして珍しいことではなくなった。それどころか、アートの展示はいわゆる「ホワイトキューブ」(現代アートを展示するのにもっとも適した空間)からの脱却の一途を諮っているかのようですらある。日本の現代アートやデザインの展示は、80−90年代は欧米型ホワイトキューブへの憧憬と追随に象徴されるが、いまはどうだろう、私たちは、真っ白くて真四角で清潔な空間での展示に少々うんざりしてはいまいか。03年最初のCETにおいて、写真家池田晶紀が崩壊寸前の廃屋に作品を展示したのを目撃した人々の多くが、ゼロ年代のアートの新しい在り方について考えさせられたのではないかと私は思う。すなわち、アートと呼ばれるものは、しつらえられた場所のみで輝くのではない。アートとは、温室で育てられた見事に咲き誇る蘭ばかりではない。それはときに泥の中に咲き、みつける人にはみつけられる蓮の花のようなものである。CETを通してそんなふうに気づいた人々が少なからずいるのではないだろうか。

     この不可思議なイベントがはたしていつ終わるのか、いつまでも続くのか、わからないままに七年が過ぎた。佐藤を初め、飽きもせずCETに最初から関わり続けたメンバーたちは、今年あたりを「最後」と呼んでもいいかもしれない、と思い始めた。なぜなら、私たちが「CET」と呼び親しんだこの東側エリアは、いつしかギャラリーやカフェ、ブティックなどがオープンし、若きクリエイターたちが次々と移り住んで、確実に新たな芽吹きをもたらしたからだ。イベント資金がないとか今年はどんな企画をやるべきか、などとはっちゃけて議論するのはもういいだろう。従来の住人たちと声を掛け合いながら、新たな住人たちが自然と創造の輪を広げているのだ。
     ゆえに私たちはいちおう最後となるイベントとしてのCETを、「OPEN=END」と命名した。小説でいえば「物語の結末は読者に任せる」という意味合いのこの言葉は、まさしくCETの未来を予言するものである。と同時に、またしても佐藤直樹が独断で一棟借りしてしまった「東神田ラーメンビル」には、これは私自身の偏見で「混沌」と名付けさせてもらった。そしてCETに深く関与し、惜しみない創造力と叡智を与え続けてくれたクリエイターたち—佐藤直樹、津村耕祐、竹内昌義、馬場正尊、池田晶紀、gift_の後藤寿和/池田文子—がこのビルに集結した。かくも見事な混沌は、あとにもさきにも、ここでこのタイミングしか目撃できないはずだ。

     最初にCETは泥縄だと書いた。が、最後に少し言い換えてみたい。CETとは、やはり泥花だ。泥の中の花。これからも咲き続けると心のどこかで信じている。

    (はらだ・ゆきこ/原田マハ CET05年終了直後にうっかり作家デビュー)


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